知る人ぞ知る天才芸人であった村田渚さん。


多くの大物芸人たちからも認められ、将来を期待されていたにも関わらず2006年に35歳という若さでこの世を去っています。


そんな伝説の芸人・村田渚さんの死の真相について【ザ・発言X あの言葉で人生が劇的に動いた!!】で真実が明らかになります!


元芸人であるコトブキツカサさんが村田渚さんの人柄を語り、突然の死についての新事実も出てくるようですよ。


今日はそんな村田渚さんについて詳しく調べてみたいと思います!


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村田渚の死因は何?当時の状況は?


       

出典元:http://www.neet-project.com/


2006年11月11日未明に、東京・品川区の自宅マンションにてくも膜下出血により急死しました。


死亡した当日、品川プリンスホテルで仕事が入っていたのに現場に現れず携帯電話に応答しないことを不審に思った所属事務所の依頼で、マンションの管理人が自宅の様子を見に行ったところ、布団でうつぶせになって亡くなっている村田渚さんを発見したようです。


誰にも知られず、看取られずに一人で旅立ってしまったのですね・・・。


まだ35歳の村田渚さんを襲ったくも膜下出血。


一体どのような病気なのでしょうか。


くも膜下出血とは


脳の血管が急に切れたり、詰まったりする脳卒中の1つである。脳卒中全体の10分の1を占める。

働き盛りに多いので、若年層の脳卒中による死亡原因の2分の1を占める。1年間でこの病気で死亡する人は1万5千人である。


脳を被う膜の1つである、「クモ膜」の下(クモ膜下腔)に出血することであり、その9割以上が脳動脈瘤破裂が原因である。


引用:https://www.hospital.asahi.chiba.jp/

 

出典元:http://terumo-kumomakka.jp/


働き盛りを突然襲うくも膜下出血、恐ろしいですね・・・。


どうやら村田渚さん、数日前から周囲の人たちに頭痛などの体調不良を訴えていた様子。


その時に病院に行っていたら命を落とすことはなかったかもしれないと思うと悔やまれますね。


そんな村田渚さんの死は、ファンはもちろん、彼を慕う芸人仲間たちに深い哀しみを与えました。


芸人仲間で村田渚さんを慕っていたバイキングの小峠さんはブログでこのように綴っています。


出典元:https://www.oricon.co.jp/


ネタ見せで初めてあの人のツッコミを見た時、何やねんこの人と思った。
何やあの”間”の取り方は!?
この人、目茶苦茶おもろいやん。


渚さんのこともっと知りたくて、仲良くなりたくて、積極的に話し掛けた。


ネットで成子坂やピン時代の事を調べていくと、だんだんとあの人の凄さが分かってきた。
電話番号を交換した時はめちゃめちゃ嬉しくて、初めて俺から掛ける時はドキドキして、向こうの呼び出し音が鳴る前にビビって切るというのを何度も繰り返した。


何で渚さんはあんなにおもろいやろうって、風呂に入りながら考えたりもした。
あの人に面白いと認められたかった。
俺はあの人に夢中やった


~中略~


後輩に電話を掛けると「小峠さん、落ち着いて聞いてください。実は・・・・・」


一瞬何を言うてるのか意味が解らんかった。
頭がおかしくなりそうやった。
後輩の声に対応出来ず、声を出すことが出来へん。
一通り話を聞いて、状況を把握し理解した。


そこからはもうダメやった。
ホンマにもうアカンと思った。
誰もおらん階段で泣いた。
信じられへんくらい涙が出た。

続きは>>コチラ


引用元:https://blog.goo.ne.jp/


「感情的な文章になるだろうな」という書き出しの通り小峠さんの思いがひしひしと伝わってくるブログを読んでいるだけで、とても苦しくなりました。


他にもさま~ずの三村さんも追悼の言葉を述べています。


出典元:http://news.livedoor.com/


「フォークダンDE成子坂。忘れてないよ。お前のぶんまでお笑いつらぬくからな」


芸人仲間から、本当に愛されていたことが分かりますね・・。


それだけに早い死が悔やまれます!


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村田渚のボキャブラ時代のネタは?同期は誰?


       

出典元:https://middle-edge.jp/


お笑いブームの火付け役となった伝説の番組「ボキャブラ天国」。


村田渚さんは「フォークダンスDE成子坂」でネタを披露して笑いを取っていました。


「味わい深いネタで勝負するいぶし銀キャプラー」と称されていましたね~!


当時人気だったネタは


「パンダ あの頃NO1」


「パンダ 笹を食う」


などのパンダネタ。(笑)


「占い」


一言で言うと「シュール」で、他の芸人たちとは明らかに違うオーラを放っていました。


当時はお笑い=ボキャブラ天国だったのでこのステージに立てるだけで凄いことですが、ここで人気が出るために自分たちらしいお笑いを捨てて大衆向けのネタをする芸人が多い中、最後まで自分たちのお笑いを貫いたコンビだったようです。


そのため、後半は順位がなかなか上がらず、低迷する時期もありました。


同期は誰?

ボキャブラ天国時代、「フォークダンスDE成子坂」の同期としてロンドンブーツ1号2号、ココリコ、Take2、ネプチューン、U-turn、爆笑問題、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)などがいます。


現在も第一線で活躍しているコンビばかりですねぇ。


それだけ「ボキャブラ天国」という番組はお笑い番組として世の中に大きな影響を与えた番組だったのですね。


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村田渚の経歴は?天才芸人と言われる所以は?


       

出典元:http://my-cecil.seesaa.net/


村田渚さん(本名同じ)は、1971年7月29日三重県鈴鹿郡(現・亀山市)に生まれました。


三重県立上野高等学校2年の時に、中学校の同級生である桶田敬太郎さんとお笑いコンビを結成しました。


ホリプロのオーディションの参加をきっかけにホリプロお笑い勉強会の参加のため、定期的に三重と東京を行き来する生活になりました。


「笑いを追求する」ということをモットーに、ネタは2人で相談して短時間で作っていたそうですよ!


高校卒業後、2人揃って上京しホリプロに入り「前三ツ」というコンビ名で活動を始めます。


そして1991年村田渚さんがツッコミ、桶田敬太郎さんがボケ担当の「フォークダンスDE成子坂」としてデビューすることになるのです!


全国的に「フォークダンスDE成子坂」の名が広まったのは、テレビ朝日系「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」で第二代チャンピオンになったことです。


その後「タモリのボキャブラ天国」でネプチューン・爆笑問題・海砂利水魚(現在のくりぃむしちゅー)らと共に出演し、人気者の仲間入りをしました!


天才芸人と言われる所以は?

出典元:http://nagicha.blog3.fc2.com/


村田渚さんのお笑いは「笑いを追求する」ことで知られており、ツッコミの間の入れ方は多くの芸人仲間からも一目を置かれていました


・「天才」


・「ツッコミの師匠」


・「お笑いの鬼」


・「トップランナー」


・「お笑いの歴史があるなら1行記される、お笑いの年表に載る人」


などと称されていました。


また、爆笑問題の太田光さんも「渚のツッコミは本当にうまかった」と後々語られているほどです。


現在も第一線で活躍する同業者である芸人たちの言葉ですから、重みがありますね。


村田渚さんが亡くなって12年経った今でも芸人仲間はもちろん、ファンの心にも生きているようです。


生きてお笑いを続けていたら、爆笑問題やネプチューンのように冠番組を持ってテレビでよく見かける人気者になっていたかもしれませんね・・。


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村田渚がフォークダンスde成子坂を解散後の活動は?



1999年「フォークダンスDE成子坂」は解散しホリプロを退社します。
       


その後ピテカンバブーの佐野さんと路上トークライブを行うなど、しばらくピン芸人として活動をしていました。


お弁当屋の配達のアルバイトをしながら懸命に芸人としてカムバックできるように頑張っていたようですよ。


そして一旦ホリプロの系列会社であるホリプロコムに戻ったものの、2005年ふたたび契約解消となりました。


その年ソニー・ミュージックアーティスツに所属し、松丘慎吾さんと共に新コンビ「鼻エンジン」を結成。


出典元:https://blogs.yahoo.co.jp/


結成してすぐにM-1グランプリ2005に出場し、準決勝まで勝ち残ります。


結成してまもないコンビニも関わらず、個々が10年以上のお笑い経験があり、そこで培われた芸で高い評価を得ました。


ライブ活動も定期的に行い、M-1グランプリ2006で3回戦まで進むことが出来ましたが、村田渚さんの急逝のために、準決勝は棄権、コンビは解散することになってしまいました。


相方の松丘慎吾さんは芸能界引退を考えるほど、村田渚さんの死にショックを受けたのだとか。


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【ザ・発言X あの言葉で人生が劇的に動いた!!】
ネプ&くりぃむが「天才だった…」と絶賛の伝説芸人M…死の真相とは?


2018年5月あるツイッターの画像が話題になりました。 


そこにはお墓参りをするさま~ずの三村さんの姿が。


出典元:https://netallica.yahoo.co.jp/


ここは天才芸人・村田渚さんのお墓でした。


これまでテレビ界を劇的に変えたであろう男の死の真相に迫ります。


90年代数多くの芸人を輩出したボキャブラ天国。


海砂利水魚、爆笑問題、ネプチューンらがこの番組の出身で、この芸人らはキャプラーと呼ばれ、雑誌でも多くの特集が組まれていました。


そんな彼らが「天才芸人」と認めていました。

●くりぃむしちゅー上田さん

・「センセーショナルだった」


・「何の話や!とその場をその一言で的確に終わらせられるツッコミ」


●有田さん

・「笑いに飢えていた」


●元U-turn土田さん
・フレーズと間が上手。


・この人売れるんだろうな


●古坂大魔王

唯一無二 日本刀のようにスパッと。余計なところは切らない


特に評価が高かったのは的確なツッコミでした。


このように人気と実力を兼ねそろえ、スター街道を登っていくと思われた村田渚さん。


突然の死に対し、さま~ず三村さんは


「生きていればなんとかなったはず」


「ツッコミ同士で後輩でありライバルだった。俺が12年間一番渚のことを忘れていない」


と言って毎年5月の命日にお墓参りを欠かさないそうです・・・。


24時間笑いのことばかり考えていた村田渚さん。


当時の芸人仲間たちは広い楽屋で待ち時間を過ごしますが、部活のようにふざけあって大盛り上がり。


しかしそこに現れる村田渚さんはいつも1人ネタの復習をしていました。


芸人同士の飲み会でもお笑いのことで有田さんと喧嘩するふりをして、周りが焦ると突然笑いに変えるなど、いつもお笑いのことを考えていたという村田渚さん。


成子坂を解散した後は時給800円のアルバイトで食いつないでいたそうですよ。


そんな中ボキャブラで同期だった芸人がテレビで活躍する姿に悔しさや焦りを感じていたと言います。


この頃世間では新たなお笑いブームが。M-1グランプリです!


そして後輩芸人の松丘さんと「鼻エンジン」を結成し、M-1グランプリ優勝という夢を持ちました。


ところで村田渚さんを尊敬していたのがバイキングの小峠さんです。


小峠さんは
「渚さんのツッコミの間やフレーズが見たこともない。人生で一番面白いと思った」


と語ります。


小峠さんは村田渚さんとよく朝までお笑いの話をしながらお酒を飲んでいたそうですよ。


そんな小峠さんが今でも大事にしているのが、村田渚さんと最後に飲みに行った時にもらった飲み屋のサービス券。


ボロボロになってもずっと捨てられなかったそうですよ。


M-1グランプリ3回戦に進出した鼻エンジン。


この日はコンビで仕事の予定でした。


しかし会場になかなか現れない村田渚さんを心配したマネージャーが当時芸人だったコトブキツカサさんに、様子を見に行ってもらうよう頼みます。


自宅マンションに付いたコトブキツカサさんは管理人さんに部屋を開けてもらうと横たわる村田渚さんを発見します!


コトブキツカサさんは現在映画パーソナリティとして活躍中ですが、村田渚さんの第一発見者だったのですねー。


当時は佐野信弘という名前で活躍していたコトブキツカサさんは「渚さーん」と起こそうとしましたが、すでに冷たくなっていました。


検視の結果、発見の38時間前に亡くなっており、死因はくも膜下出血でした。


コトブキツカサさんは初めてテレビで告白します。


「ほっとしたのは本当に穏やかで、微笑みながら亡くなっていた」、と。


苦しみながら逝ったのではなく最後までお笑いのことを考えて逝ったかもしれませんね・・・。


その後コトブキツカサさんは村田渚さんの母から


「寿司でコトブキツカサという名前を使ってくれませんか?」


と言われたそうです。


実は「コトブキツカサ」とは村田渚さんのネタの中に出てくる名前だそうです。


テレビに「コトブキツカサ」という名前が出るだけで村田渚のことを思い出すからだそうです。


泣けますね・・・。


先輩・同期の芸人たちは口をそろえて語ります。


有田:「お互いにこんな番組をやりたいなと思っている存在」
上田さん:「無邪気で、いろんな人に愛された」
三村:「もったいない。もっといけた。おまえの分俺がやっているよとずっと遺志を共にして歩んでいる」

名倉:「ライバルでとても仲が良くて渚さんのお笑いに対する気持ちが熱すぎて怖かった」


最後にまとめ


・天才芸人・村田渚さんは35歳という若さでくも膜下出血により亡くなりました。
・第一発見者は当時の相方コトブキツカサさんです。仕事場に現れない村田渚さんを心配し自宅マンションを訪ねたところ、すでに亡くなっていた村田渚さんを発見しています。


・村田渚さんの同期芸人はネプチューンやくりぃむしちゅーらがいます。


・村田渚さんは19歳で上京し「フォークダンスDE成子坂」を結成します。


ボキャブラ天国で活躍後、相方との方向性の違いにより解散、アルバイトをしながらお笑いの華やかな世界から離れていた時期がありました。


M-1グランプリで優勝することを目標に活動を始めましたが、M-1グランプリさなかに突然亡くなってしまいました。


いかがだったでしょうか。


今でも生きていたら、きっと今のネプチューンやくりぃむしちゅーのような大物芸人になっていたであろうと思うと、本当に惜しい人を亡くしたと思います・・。


私は今回初めて村田渚さんのことを知ったのですが、生きている時にもっとネタを見たかったです。


これを機に動画でもっと村田渚さんのネタを見ようかな!と思います。


村田渚さん、これからも多くのファンや芸人仲間たちの心の中で生きていくでしょう。


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