1992年に起きた「メルボルン事件」を知っていますか?
これはオーストラリアのメルボルン空港で日本人観光客らのスーツケースから大量のヘロインが見つかり有罪を受けた事件ですが、不可解なことが多い事件として知られています。
2018年3月2日(金) (19時00分~20時00分)放送の爆報!THEフライデーでは【ワイドショーを騒がせた美女】として、事件に大きく関わった唯一の女性・本多千香さんの2018年現在に迫ります。
真犯人の意外な事実にも踏み込んで特集されるそうですよ〜
放送前にメルボルン事件についてちょっと勉強してみましょう!
メルボルン事件とは何か?事件が起きた経緯とは?
1992年、ある日本人グループ5名がオーストラリア・メルボルン空港に降り立ちました。
そのメンバーとは・・
●Aさん
この旅行の企画者で元暴力団員
●Bさん
Aさんの長兄
●Cさん
Aさんの次兄
●Dさん
Aさんの知人
●Eさん(女性)
Cさんの知人女性で逮捕・拘留された
5名は観光のためメルボルンに向かう途中、経由したマレーシア・クアラルンプールで持参したスーツケースが盗難に遭いました。
そこでマレーシア人のガイドから代用品として得渡されたスーツケースを使いメルボルンに降り立ちました。
しかしそのスーツケースの底には二重底の細工が施されておりその中に13キロものヘロインが隠されていたのです!
しかし身に覚えのないこととして全員が否認しています。
弁護団はクアラルンプールでガイドが自分たちを運び屋に仕立て上げようとしたと主張し、無罪を訴えましたが
●「ガイドを証人として法廷に呼ぶことが出来なかったこと」
●「逮捕~捜査~公判まで語学が堪能な通訳が立ち会わなかったため、意図が正しく伝わらず、十分に主張が出来なかったこと」
これらが原因でAさんに25年(後で20年に減らされた)、他4人に15年の判決が下りました。
そして異国の刑務所で長岐に渡って服役後、2002年に女性1名・男性3名が仮釈放され帰国し、2006年までに最後の一人も帰国しました。
メルボルン事件で逮捕された5人は冤罪か? 有力な真相は?
当初このメルボルン事件で逮捕された5人は冤罪ではないかと言う声が多く挙がっていました。
それは異国の地で言葉の壁やマレーシア人のガイドが証人として現れなかったことで、自らの無罪を主張し切れないと思われたからです。
しかし捜査が進むにつれて冤罪とも言い切れないことが判明してきたのです。
その理由は・・
● Aさん・Bさん・Cさんは逮捕前からスーツケースに薬物が入っていることを知っているような発言をしていた
● Aさんが旅行の企画をしていますが、元暴力団員で過去に逮捕歴がある。(公文書偽造・拳銃所持・向精神薬所持)
● ガイドの発言として「Dさんと本多千佳さんは無実」というものがあった
うーん、確かに「黒」っぽいですねぇ・・。
冤罪とは言い切れないというのも分かります。
有力な真相は?
現在までに有力な真相としてAさん・Bさん・Cさんと、マレーシア人のガイド・チャーリーはマレーシアの麻薬シンジケートの主導の元、薬物の密輸に手を染めており、Dさんと本多千香さんの2人は巻き添えをくらってしまったと見られています。
本多千香はなぜ事件に巻き込まれた?獄中生活は何年?現在も有罪?
出典元:http://chika.asia/chika.html
本多千香さんは埼玉県東大宮のバーに勤務する当時36歳でした。
バーで知り合った客のひとりからオーストラリア旅行に誘われ、初の海外旅行を楽しみにしていました。
そしてオーストラリアに向かう経由地として降り立ったクアラルンプール空港。
ここで一行は市内のレストランで食事をとりました。
しかしその間にスーツケースを含めた手荷物を積んだ車が盗まれたのです!
一行は不安なまま一夜を明かしましたが、翌日マレーシア人ガイド・チャーリーから手荷物の発見を知らせる連絡が入ります。
それは
「スーツケースは酷く損傷しているため、すでに全員分のスーツケースを用意したので、そこに中身を詰め替えた」
というもの。
手荷物のトラブルですぐにスーツケースを用意して勝手に詰め替えるというのは、いくら何でも不自然なように思いますよねぇ。
代用のスーツケースを持って降り立ったメルボルン空港。
入国審査のX線検査で本多千香さんのスーツケースの二重底から13キロものヘロインが見つかったのです。
身に覚えのないことに否認をしたものの、逮捕・拘留されることとなります。
これは怖いですね・・。
海外旅行に行くと、ロストバゲージや現地での荷物のトラブルはまれにあると思いますが、この場合は組織的犯罪に巻き込まれてしまったので、不運としか言いようがありません・・。
逮捕後も本多千香さんは無罪を必死に訴えました。
しかしオーストラリア人通訳はほとんど警察に本多千香さんの言葉を伝えることが出来ず、結果有罪へと大きく傾いてしまったのです。
しかも日本の外務省は「相手国に対して内政干渉になるので事態を見守るしかない」とし、本多千香さんを救ってはくれなかったのです。
本多千香の獄中生活は何年?
さぞかし絶望したことでしょう。
本多千香さんは刑務所でパニックに陥ったり、手首を切って自殺未遂をすることもありました。
しかし本多千香さんは「神様が生かしてくれて、もっと人生の教訓を学ばせようとしている」と奮起します。
刑務所では英語を取得し、友人も作るなど超・模範的な服役囚だったそうですよ。
その証拠に刑務所の職員から猫をもらって飼っていたというエピソードもあります。
本多千香さんのこのような獄中生活は実質10年半にも及びました。
その時本多千香さん、47歳になっていました。
本多千香は現在も有罪?
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2018年現在62歳になった本多千香さん。
自分のような被害者をこれ以上出さないよう、書籍の出版や講演などで自らの体験談を伝える活動をしています。
しかし現在でも本多千香さんの冤罪はオーストラリアでは有罪という扱いになっていることに変わりはありません。
残念ながら今となっては真実を明らかにするのは難しいでしょう。
本多千香さんの奪われた10年半の時間を返して欲しいですね。
結構こういうことは他人事ではなく、いつ私たちが巻き込まれるか分からないのです。
防ぐのもなかなか難しいと思いますが、教訓として胸に刻んでおく必要がありそうですね。
【爆報!フライデー_ワイドショーを騒がせた美女は今】で、本多千香の10年間刑務所生活と真犯人の意外な事実が明らかに?
いわゆる「メルボルン事件」で麻薬密輸の罪で逮捕・有罪になった人物です。
しかし本多千香さんは全く身に覚えのないことなのです。
「有罪にされた時は、人生終わったなと思った」
一体どのようなことが起きたのでしょうか。
今夜の主人公・本多千香さんは、1956年神奈川県海老名市生まれです。
地元では有名な美少女で学校のヒロインだったと言います。

しかし1992年、そんな彼女の人生は激変することとなります。
交際相手と将来を約束し、まさに幸せの絶頂だった本多千香さん。

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ある日仲の良い友人からオーストラリア旅行に誘われました。
初めての海外旅行。
当時ブームだったコアラに会いたいと胸を弾ませ、6月15日、友人の兄弟らを交えた男女計7人でオーストラリアへ向かうことになりました。
しかしこれが悪夢の始まり・・・。
マレーシアのクアラルンプールで合流したのが現地ガイドのチャーリーです。
友人の顔なじみの男性でした。
そしてマレーシアのホテルで一泊し、メルボルンに到着します。
すると空港で千香さんのスーツケースから大量のヘロインが発見されてしまうのです!
実際の映像が現在も残っていました。
取り調べを受ける一行の様子、慌てふためく友人たち。
その中で不安げな表情な本多千香さんの様子がハッキリと映っていました。
本多千香さんはヘロインすら知らず、「ヘロインとは何か」と聞くほど。
ではなぜ本多千香さんのスーツケースに入っていたのでしょうか。
それは経由地クアラルンプールで、日本食レストランにて食事中、グループの一人が「荷物を積んだバンが盗難された」と駆け込みます。
「荷物がなくなったのでは旅行を中止せざるを得ない・・」という重い空気が一行を襲いました。
しかし翌日状況は一変。
「見つかった時スーツケースがズタズタに引き裂かれていた」と説明するチャーリー。
しかし荷物はそっくりそのまま残って、代わりのスーツケースに綺麗に収められていました。
ホッとした本多千香さん、不審に思わなかったのでしょうか…
本多千香さんは、持ち上げるのもやっとというくらい重いスーツケースに違和感を感じたものの、荷物が見つかった喜びでそれほど不審に思わなかったようです。
そりゃそうですよねー。
まさかその中にヘロインが入っているなんて誰も疑わないでしょう。
安心した一行はメルボルンに向かいました。
するとまさかの麻薬密輸容疑で拘束。
スーツケースは2重底に改造されていて末端価格8億円にものぼるヘロインが見つかります。
その時本多千香さんの脳裏に浮かんだ犯人はガイドのチャーリー。

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最近では危機感の低い日本人がこのように海外で麻薬の運び屋に仕立て上げられたり、詐欺にあうケースが多発していると言います。
オーストラリアでは麻薬密輸は殺人と同罪。
厳しい尋問が続きます。
しかし用意された通訳は日本語の日常会話もできませんでした。
辞書を見ながら話すレベルのため、本多千香さんは何度も通訳の交代を訴えました。
しかしそれを受け入れられることはありませんでした…
「罪を認めれば刑期を短くする」と司法取引も持ち掛けられたことがありますが、本多千香さんは無実を訴えました。
そして下された結果は懲役15年。
日本ではマスコミが騒ぎ、52人もの弁護団が結成され裁判のやり直しを訴えたが判断は覆りませんでした。
メトロポリタン刑務所に入れられた本多千香さん。
何も罪のない人間が殺人犯と一緒に生活するのですから、おかしくならない訳がありません。
毎朝7時に起きて9時から16時はぬいぐるみの裁縫の仕事をします。
言葉も分からず話し相手もいなかった千香さんは陰湿ないじめを受けた。
それは受刑者だけでなく看守からも・・・。
本当に辛く孤独な日々だったと思います。
入所から3か月経つと本多千香さんの身体に異変が現れます。
昼夜問わずパニックが襲い幻覚と闘うようになっていました。
そして舌が真っ黒になり味覚が分からなくなりました。
それは極度な精神的ストレスと不衛生な食事によって原因不明のウイルスに感染したようです。
月日が過ぎると日本のマスコミも扱うことがなくなり、恋人も結婚したことを知り絶望の淵にいた本多千香さんは自殺を図りました。
かなり鋭利なハサミで手首を切ってバケツに手を入れて・・を繰り返していた。
しかし死ぬことが出来ないのです。
そして10年半の刑期を終え2002年11月9日に釈放されました。
その時本多千香さん、46歳。
顔がゆがみ、年齢以上にしわが深くなっていました。
ようやく乗ることが出来た飛行機で
「日本に帰って来たんだな。あぁ、嬉しい」
と感じた本多千香さん。
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しかし出所後の彼女を待ち受けていたのは拘禁ノイローゼ。
長期間拘束されるところに身をおいていた人が患う精神ダメージだそうです。
本多千香さんは夜眠ろうとすると「来ないで!」と誰かに追われている幻覚に悩み、睡眠導入剤を手放せない状態でした。
一時期は「刑務所の生活の方が幸せ」と思う程・・。
それでも何とか少しずつ外出できるようになっていき、小さなスナックで働き始めた本多千香さんは2010年お店で出会った男性と結婚しました。
しかし拘禁ノイローゼから解放されないことで夫婦の間に溝が生じ、1年半で離婚してしまいました。
すべては忌まわしき事件のせい…
本多千香さんは人生を取り戻すことが出来ないのです。
62歳になった現在、本多千香さんはどうしているのでしょうか。
爆報スタッフはさいたま市の自宅を訪れました。
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現在、独身の本多千香さんは、築40年家賃5,5000円のアパートで一人で暮らしています。
週6日のパートは仕事が終わるのは深夜3時ごろと言います。
そして帰宅後はコンビニ弁当を食べる日々。
今の生活に慣れ、何とか受け入れようとしている日々だったそうです。
あの「メルボルン事件」がなければ今頃、愛する夫と子供、もしかしたら孫に囲まれていたかもしれないのに・・・。
番組スタッフはチャーリーの行方を徹底調査します。
そこでチャーリーと接触したことがあるメルボルン事件を担当していた田中弁護士に会うことができました。
1992年本多千香さんが逮捕された当時チャーリーは姿を消しており、田中弁護士も行方をずいぶんと追っていたようです。
月日が経ってから、チャーリーはクレジットカード偽造の罪でマレーシアの刑務所に入っていることが判明するのです。
チャーリーと面会した田中弁護士は、チャーリーに本多千香さんが刑務所で置かれている状況を説明します。
するとチャーリーは「ヘロインはオーストラリアでギャングが受け取るはずだった。彼女は何も知らない。特に本多千香さんについては気の毒だと思う」と述べたのです!
しかしこの証言だけでは冤罪を訴えられませんでした。
チャーリーは出所後再び姿を消してしまったこともあり、本多千香さんを釈放するというところまではいかなかったのです。
このように楽しい海外旅行で思いもよらない出来事が起きてしまった本多千香さん。
現在も後遺症が完全に消えたわけではありませんが、元夫・正和さんの支えで何とか元気になってきているようです。
結婚当時は拘禁ノイローゼで夫婦仲も悪化し離婚してしまいましたが7年という時間が2人の関係を再構築させてくれているようです。
正和さんとの何気ない会話が心の癒しになっており「再婚は5~6年だね」と人生の新たな目標も見出している様子。
少しずつ笑顔を取り戻し始めた本多千香さん。
大切なものをたくさん奪われた時間を戻すことは出来ませんが、これからの人生どうか前向きに生きて欲しいです。
最後にまとめ
● 1992年メルボルン空港で起きた麻薬密輸事件。5人の日本人観光客が逮捕・拘束された事件は「メルボルン事件」と呼ばれ当時マスコミがこぞって取り上げました。
● メルボルンに向かう経由地クアラルンプールでスーツケースが盗難に遭い、戻ってきた時にスーツケースが改造され中に13キロものヘロインが仕込まれていたのです。
● 逮捕者の中で唯一の本多千香さんは、言葉が通じないことで上手く無実の訴えが伝わらずメトロポリタン刑務所で10年半の辛い獄中生活を送りました。
● 現在も獄中生活の後遺症に悩まされながら一人で暮らす本多千香さん。結婚・出産などの人生の大事な時間を冤罪によって狂わされた苦しみはまだまだ続きます。
いかがだったでしょうか。
海外旅行に行くと「気を付けなければ」と思いつつも、どこか緩んでしまうことがあります。
日本人は平和ボケしているところがありますからねー。
特にスーツケースを紛失してしまうなんてことがあったら、平静ではいられませんよね。
そのような心理をうまく利用して今回の不幸な事件が起きてしまったのだと思います。
本多千香さんが受けた心の傷と失われた大切な時間はもう戻ることはありませんが、私たちもこの「メルボルン事件」を教訓に、改めて気を引き締めていきたいですね。
どうか本多千香さんのこれからの人生が素敵なものになりますように。