出典元:toru-kazama.com
風間トオルさんと言えば、超絶な貧乏話が有名ですよね〜
さんま御殿で風間トオルさんが語った生い立ちは、想像を超える壮絶な貧乏話でした。
- 洗濯機はお風呂代わり
- 炎天下の石は焦げた匂いがしておいしい
- 待ち合わせわは、渋谷駅集合で渋谷駅解散で10駅3時間歩いていた、などなど
本当?と思ってしまうほどの内容がまだまだ沢山あります!
>>風間トオルの貧乏話は“もはや伝記”!8つのエピソードとは?
この生い立ちを聞いても2chでは「風間トオルは名前のせいか貧乏臭がしない」「お金持ちの子と言われても疑わない」「風間トオル淡々としすぎて、悲壮感漂わないのはなんでだろ? すれたところもないよね」と貧乏が似合わないとコメントされています。
壮絶な貧乏を経験しても、決してスレたところがない風間さん、いったい前世は誰だったのでしょうか?
貧乏生活をすることになった理由は?
しかし何故に風間トオルさんは、ここまでの貧乏生活を強いられなければならなかったのでしょうか?
この壮絶な貧乏生活をしなければならなかった理由は、風間トオルさんが5歳の頃に両親が離婚してしまったからだそうです。
母親が家を出ていって、最初は一緒にいた父親も1週間位で蒸発してしまいました…
結局は、年老いた祖父母の年金だけで生活しなくてはならなかったようです。
人生を教えてくれたのは祖母
祖父母に対して風間さんは「祖父母は、親代わりではなく『両親』そのものです」といいきっています。
詳しくは、著書「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」(中央公論新社刊)で語られています。
風間さん曰く、両親は小さい頃からいなかったけど、いないのが当たり前。
両親がいなくても、祖父母といる家庭に温かさを感じる事ができ、お金がなくて食べるものもなかっただったけど、とても幸せだったと告白しています。
風間トオルさんが、デビューしたての22歳の時におばあちゃんがなくなりました。
その時、誓った事は”俺の母親が、今日亡くなったんだって思おう”って、自分の中でそういうふうに決めたそうです。
おばあちゃんからは人を信じること、つながりの大切さを学んだといいます。
人とのつながりがあれば苦しくても何とかなる、つながりは多ければ多いほどいいと実感したようです。
おばあちゃんは、パチコンばかりしていたとあるエピソードで語られていますが、人として大切なことを風間トオルさんに教えたのですね。
本当に心から感謝しているようです。
今もある父親との交流
両親の職業や母親については、調べても何も出てきませんが、母親については、ほとんど記憶がないのかもしれませんね。
しかし、貧乏の原因を作った父親とは今も交流があるようです。
高校を卒業後にスカウトされてモデルの仕事を始めて、それから俳優の仕事もするようになります。
ドラマだけでなく舞台にも出演するようになったその頃から、風間トオルさんの出演する舞台に、5歳の頃から別れた父が、ちょくちょく顔を出すようになり、生活費を求めてくるようになったといいます。
父親が何の職業をしているかはわかりませんが、かなりお金に困っているのでしょうか?
風間トオルさんは、父親に対して「オレを生んでくれた人だから、最後まで面倒はみたいと思っています」と生活費の支援を続けるといいます。
貧乏で、打ち勝った強い精神力があるから、何があっても包み込む強さがあるのですね。
ネット上で、風間トオルさんのこの告白には拍手喝采です。
「自分にはできない」「器が違う」「なかなかできることじゃない」と、風間トオルさんを称賛しているコメントが多いです。
自分が風間トオルさんの状況になったら、できることではないと思っている人がほとんどです。
貧乏生活の原因になった父親を許して、父親をこれからも支えていくといういうのだから、風間トオルさんの心の大きさ、優しさがどれほど深いのかわかりますね。
今は“愛するセンセー”と一緒?
風間トオルさんは、愛犬と一緒に暮らしています。
愛犬センセーとの毎朝毎晩の散歩は欠かさずしていて、そのほかに、週1回はジムでパーソナルトレーナーについてメニューをこなし、他に週に3回は1時間ほど走っていますと言っていました。
まだ、独身のようですが、祖父母と過ごして幸せだと感じたような、素敵な家庭を早く作って欲しいと思います!