東山紀之さんは、1980年代に少年隊として活躍していたトップアイドルでした。


今では俳優として活躍されています。


2010年には共演をきっかけに知り合った女優木村佳乃さんと結婚して、お子様もいらっしゃいます。


現在は幸せな東山紀之さんですが、東山紀之さんの生い立ちは壮絶だったといいます。


東山紀之さんの生い立ちを調べてみましょう!


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幼少期は極貧?コリアンタウンで育った過去


東山紀之さんの壮絶な生い立ちが、東山紀之さんが書いた本「カワサキ・キッド」の中で描かれています。


カワサキ・キッドは、09年1月から1年4カ月の間「週刊朝日」に連載されたものです。


それまで明かされなかった数々の秘話が告白されたことで、当時は話題になりました。


東山紀之さんは、このカワサキ・キッドで、自身がロシア人の血を引くことを明かしています。


東山紀之さんの父方の祖父と父親は、とんでもない大酒飲みでギャンブルもやる親子だったようで、多額の借金があり、大変な貧困だったようです。


生後8ヶ月の時、母親が留守の時祖父が、酔って暴れて、ポットをひっくり返した時に、熱湯が東山紀之さんの両足にかかり大やけどを負ったそうです。


その事がきっかけで、妹が生まれてすぐに両親は離婚しました。


祖父はロシア人ですが、実父は朝鮮人かはわかりません。


実父母の国籍にはエッセイでは触れていません。


離婚後東山紀之さんが移り住んだ川崎のアパートの一角にコリアンタウンがあり、在日朝鮮や韓国人の方に大変世話になったと言う事です。


東山紀之さんは、母親と妹と3人で暮らします。


朝鮮人母子が近所に暮らしていて、東山紀之さんと妹が毎日、お宅にあがり込んで、いつも店の豚足を食べさせてもらっていたようです。


貧困でお腹をすかせていた東山紀之さんは、「あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う」と振り返っています。


その後実母は再婚しますが、再婚相手がDVで、東山紀之さんも被害にあっています。


本当に壮絶な生い立ちですね、ミステリアスな東山紀之さんの内面がよくわかるエッセイと言えそうです。

朝鮮人を象徴するような耳の形について


東山紀之さんは、耳の形が独特です。


東山紀之さんの子供さんの耳もそっくりなようで、似てしまっている事をとても気にしていました。


東山紀之さんの耳のカタチは、耳たぶが小さくて耳が尖っています。


あまり日本人には、見られないので、耳のカタチから実の父親は朝鮮人との噂もありますが、真相は謎のままです。


東山さんのような飛び出ている耳廊の人は意志が強く、妥協を嫌いなストイックなタイプのようです。


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ジャニーさんが唯一スカウトしたのは東山、見る目が達観すぎ!


ジャニーズ事務所は、基本タレントの公募は行っていないようですが、毎日のように履歴書が届くそうです。


それをジャニー北川社長が全部目を通して、目ぼしい少年をピックアップするそうです。


しかし、東山紀之さんは、12歳のころ、渋谷のNHKホールの交差点にいる時に、車から降りてきたおじさんに声をかけられたと言います。


その人が、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏です。


車の中から、東山紀之さんを見つけて目をつけ、直接声をかけたくらいですから何か感じたのでしょう。


ジャニー喜多川さんは、一瞬見ただけで、その人の10年後が見えると言っています。


東山紀之さんと会った瞬間どのような光景が見えたのでしょう。


ジャニー喜多川さんに声をかけられ、デビューに向けてレッスンを受け始めます。

1982年に少年隊のメンバーになり、1985年に「仮面舞踏会」でレコードデビューします。


その後もヒット曲を飛ばし続け、アイドルとして活動を広げていきます。


幼児期に受けたやけどで、左足は変形していて、今も痛む時があるようです。


デビュー後に本格的な筋力トレーニングを始めたのも、やけどした足をかばって、傷めた軟骨の負担を軽くするためだったと語っています。


マルチに活躍する東山紀之さんは、ジャニーズ事務所の役員も務めています。


人としても尊敬や信頼のおける人なのでしょう。


性格は真面目で心の強い人とだと思います、悲しい生い立ちがあるからこそなのかもしれませんね!


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