「ノーマネーでフィニッシュです!」
吉田栄作さんのこの言葉が耳に残った番組をご存じですか?
2001年~2004年に放送されていた「マネーの虎」です。
起業をしたい人たちがプレゼンをして、成功者と言われる「マネーの虎」たちが投資家として出資するという番組でした。
自信満々にプレゼンをする人たちが「虎」たちに厳しく突っ込まれたりしていましたね。
「そうだ!甘い!」と虎たちに賛同したり、「そこまで言わなくても・・・」と同情したりしながら観ていた記憶があります。
その虎たちの中にいた一人、ラーメン店「なんでんかんでん」社長の川原ひろしさんの番組終了後の人生が何やら大変なことになっていたらしいのです。
全盛期の川原ひろしさん、どれだけスゴかった?
「なんでんかんでん」がオープンしたのは1987年。
場所は世田谷区の新幹線道路・環七通り沿いでした。
東京には馴染みのなかったとんこつラーメンを「替え玉」という、当時では斬新な販売方法で広め、川原社長は「ラーメンブームの火付け役」となります。
夜だけの営業にも関わらず1日に100万円を売り上げる日もあったそうです。
年商は6億円とも言われています。
そのあまりの人気ぶりから店の前にパトカーが配置されていた時もあったといいます。
行列を作る若者たちの車対策に、中央分離帯にフェンスが作られたり、目の前の道路の車線の書き換えもされたらしいです。
なんでんかんでんのために道路状態まで変えられるとは・・・どれだけすごい人気だったのかがわかりますね。
ちなみに川原社長の祖父は、博多の老舗明太子店「ふくや」の創業者。
経営者としての資質もおじい様ゆずりだったのかもしれません。
「なんでんかんでん」廃業の理由とは?
オープンした1987年はバブルの時代。
若者たちは車を乗り回して深夜まで遊んでいました。
だからこそ、交通の便が良い場所とは言えない「なんでんかんでん」に、深夜でも若者たちが集まっていたのです。
しかし、時代は変わり、バブルがはじけて不況の波が「なんでんかんでん」を襲います。
駐車違反や飲酒運転取り締まりの強化、ラーメン店の競争激化も重なって売り上げは減少。
「なんでんかんでん」を支えてきた若者たちが深夜に車で出歩くことも減っていきます。
そんな様々な理由からだんだんと店舗を縮小していき、ついに26年間続いた環七沿いの本店も2012年に閉店をしました。
川原ひろし社長、 催眠術師の活動内容とは?
本店閉店後の川原社長は、タレント業にも力を入れつつ、なんと「催眠術師」として本格的に活動をしています。
パーティーや学園祭、結婚式なで催眠術を披露してるそうです。
昔から思っていましたが、川原社長って目鼻立ちがはっきりしていてハーフみたいですよね?
もちろん実際は博多出身の純日本人ですが(笑)それも、本当は色白なのに日焼けサロンで焼いているらしいですね。
ますますハーフ寄りです!
「川原ひろしが催眠術師になった」と始めて聞いた時、その怪しいハーフ風なルックスが催眠術師にぴったり!と私は笑ってしまいました。
でも、動画などを見ると案外おもしろいです(笑)
川原さん曰く「催眠術は特別な能力は必要なくコツさえわかれば誰でもできる」とのこと。
かくいう私も「催眠術師」にちょっと興味を持ってしまいましたね(笑)
本店閉店時は借金は5億円だったとも言いますが、その借金も5000万になったそうです。
タレントや催眠術師としてだけでなく、歌手の顔も持つ川原ひろし社長。
でも、彼の原点はやはりラーメンです。
今年は強力なスポンサーを見つけて「なんでんかんでん」を復させ、ゆくゆくは全国100店舗を目指したいと語っています。
「なでんかんでん」は、もともと博多弁で「なんでもかんでも」の意味。
好きなことをなんでもかんでも実行して人生を楽しみながら頑張って生きているという感じで、応援したくなります!
頑張ってください!