池田 貴族さんは、ロックバンドremoteのボーカリストとしてデビューします。
その後、音楽活動以外にも霊感タレントとしてテレビ番組へ出演していましたが、1999年36歳の若さで肝細胞ガンの為亡くなりました。
池田貴族さんには6歳年下の妻和美さんと、まだ1歳6ヶ月の幼い娘さんがいました。
最近、テレビで和美さんは、その時の心境をかたっています。
一体何が語られたのでしょう。
「アイドルだった過去」と「池田貴族の看病」
池田一美さんは、三重県出身です。
幼い頃から、アイドルに憧れていた一美さんは21歳の時、鈴鹿サーキットのレースクイーンとなります。
その後、活動を名古屋に移しでアイドルとして活躍していました。
その後、歌手の池田貴族さんと出会い、結婚。
池田貴族さんの画像は⇒コチラ
結婚生活を始めてから3年目の1996年に夫である池田貴族さんが、突如、体の異変に襲われました。
検査結果により池田貴族さんは、肝臓がんを告知されます。
その時、すでに池田貴族さんの「がん」はステージIIIでした。
すぐ手術をして、めきめき回復していったので一美さんは助かると過信していたようです。
しかし、また再発。この時既に「ステージⅣの末期癌」にまで進行していました。
池田貴族さんは「がん」の再発と手術を繰り返し、一美さんも24時間付きっきりで看病。
「がん」克服を目指して壮絶な闘病生活が始まります。
しかし、貴族さんがなくなる1か月前に、池田一美さんの心に異変が起きます。
突如 夫の介助を拒絶…
一美さんは、医師からの同意書にサインを求められても決断できず逃亡してしまいます。
池田貴族さんがずっと一緒にいたいと懇願してきても、一美さんは逃げるように病室をで出しまいます。
その直後、池田さんの容態が悪化し会話もままならず、昏睡状態に陥り1999年12月25日、池田貴族さんは帰らぬ人になってしまいました。
生前、池田貴族さんは、闘病中に勢力的に音楽活動をしていたようで、チャリティーコンサートや「大生前祭」といったライブを開いています。
表現者として何かを伝えようと、最後まで「がん」と戦っていた様子がうかがえます。
自ら介護士になるための「きっかけ」とは?
池田一美さんは、テレビでこの「夫が亡くなる最期の1か月間のこと」をあれから、ずっと今まで後悔していると告白しています。
医学的にみると「夫が亡くなる最期の1か月間」の一美さんの心境や行動を「予期悲嘆」と言うそうです。
大事な人と会えなくなる、このまま大事な人がいなくなってしまうと予期した時に出てくる情動的な反応です。
池田一美さんは、このとき「抑うつ」状態でした。
池田一美さんはその時、日常の事にも取り組めなくなり、頭が真っ白になり、その時のことを覚えていない状態でした。
身内が病気になると、看病している家族が鬱状態に陥ってしまうのは多いと言われます。
その状況にならないと家族の苦しみを理解するのは不可能です。
夫が亡くなる最後の1ヶ月前に自分が逃げたしてしまった後悔が「介護福祉士の資格を取得したい」と強く思うきっかけになったそうです。
池田貴族さんの死後、地元の三重に戻り、介護の仕事に携わりました。
仕事と育児の合間に勉強をして、ケアマネージャーの資格を取りました。
ずっとシングルマザーとして、今も週5日介護の仕事をしているそうです。
介護の仕事をすることで、あのときできなかった「夫との空白の1ヶ月」を取り戻したいと語っています。
夫にできなかったことを想い、介護の仕事を心を込めてしているそうです。
娘が所属する「アイドルユニット」とは?
池田貴族の娘さんにお父さんの記憶はありません。
小学生の時取材で、池田貴族さんのCDを聞き「かっこいい!」と思い、お父さんを身近に感じる事ができたようです。
そんな娘さんも現在20歳になりました。
池田貴族さんの池田美夕(みゆう)さんは、地下アイドル「Sluggers(スラッガーズ)」という3人組のアイドルユニットで活躍している結奈(ゆな)さんなのです。
2017年1月に初披露されたばかりの新しいユニット「Sluggers」。
池田美夕さんは、Sluggersでツインテールのカワイイ系(ロリ系?)キャラです。
娘は、偉大な「父の背中」を追って
ちなみに、池田貴族さんが「がん」と闘っているときに生まれたのが美夕さんで、池田貴族さんが最後に作った曲が「MiYOU」。
お父さんの最後まで子供を思う愛情が伝わってきます。
池田貴族さんは、愛する娘の為常に前向きな気持ちで、病と戦っていました。
凝縮された父の愛を受けた美夕さん、是非アイドルとして大成してもらいたいものです!