ピーターノーマンという人物を知ってますか?
メキシコオリンピックで200m短距離走で銀メダルに輝いたオーストラリアの選手です。
しかし、メキシコオリンピック後、彼は母国で生涯「のけ者扱い」され「銀メダルリスト」になってしまいます。
ピーターノーマンはどうしてのけ者扱いされたのか?メキシコオリンピックで一体何があったのでしょう。
ピーターノーマンの生い立ち
ピーターノーマンは、オーストラリアのメルボルン郊外で75年前生まれました。
地元の陸上チームで活躍していましたが、シューズも買えない程貧困でした。
当時のオーストラリアは、何事にも白人が優先され、有色人種は市民権もなく長年法的にも迫害され続けました。
ピーターは、敬虔なクリスチャンだった両親に「肌の色や生まれた場所なんか関係ない、人間はみんな平等なんだ、それをいつも忘れるな」と教えられていたので、差別することは決してしませんでした。
ピーター・ノーマンは人種差別と闘ったアスリートです。
人生を変えたメキシコオリンピックの出来事
1968年メキシコ五輪が開催された年はまだ、アメリカ黒人の公民権の適用と人種差別の解消を求める抗議運動が継続していて、ベトナム戦争の反対運動が起こっていた時代です。
世界が大きな変動の中にありました。
そして、問題の「ブラックパワーサリュート事件」が起こります。
ピーターは、陸上だけはやめずに続けていました。
リレーから200M走に転向した途端才能が一気に開花し、メキシコ オリンピック代表に選ばれます。
当時の陸上短距離は、アメリカが絶対王者として君臨していたので期待はされていなかったのですが、予選でいきなりオリンピック記録を更新し準決勝も突破 、ついに決勝進出を決め銀メダルに輝いたのです。
表彰式の時、金メダリストのトミースミスと銅メダリストのジョンカーロスが国旗掲揚している間、壇上で頭を下げ黒手袋をはめた拳を高く突き上げました。
この行為は、ブラックパワー・サリュート(拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為)です。
二人は黒人の貧困を象徴するため、シューズではなく黒いソックスを履き、スミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを、カーロスは白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するロザリオを身につけていました。
オリンピックでは、いかなる種類の政治的、宗教的、そして人種的な宣伝活動も禁止されています。
この時、撮られた一枚の写真は「ブラックパワー・サリュート」と呼ばれ、黒人の誇りと威厳を主張し、差別に抗議する意志の象徴として、大きな注目を浴びることになったのです。
ピターは、胸にバッチを付けていました。自分の意志で、賛同したという事で、英雄になれるはずだったのに、マスコミにただかれ、国民から無視されるようになり、母国で激しい批判にあいます。
表彰台に向かった際にスミスとカーロスにピターは「君たちが信じていることを僕も信じている」と伝えたそうです。
ジョンとトミーは永久にオリンピックから追放されました。
映画「サリュート」が世界中の人々に伝えたこと
2006年10月3日、ピーター・ノーマンは心臓発作で亡くなりました。
出棺の時、棺につきそったのはトミー・スミスとジョン・カーロスでした。
2人はアメリカから駆け付けたのです。
ピーター・ノーマンの死後、彼の人生を映画化した作品「サリュート」が公開されました。
サリュートは、実話をもとにして作られた映画で当初、15館でしか公開されませんでした。
徐々に口コミで評判になり観客数が増え、反響が凄くなったので最終的にアメリカをはじめ、世界6カ国で上映されるようになりました。
後に、オーストラリアの国内外で8つもの映画賞を受賞する事になります。
この映画のメガホンを取ったのは、ピーターの甥っ子マットです。
ピーターは生前マットに「確かにオレは得るはずだった色んなものを失ったのかもしれない。でもな、自分の信念を貫き通せた」と誇らしげに伝えてます。
マットは「彼のしたことがどれほど大変で勇気がいることだったかを伝えたい」と思いメガホンをとりました。
オーストラリア議会は、ピーターがオーストラリアで受けた扱いと表彰台で行った行為が評価されなかったことについて謝罪しています。
彼の勇気と信念は、半世紀近く経て世界中の人々に伝えられたのです。
「自分が信じたことのために立ち上がりなさい」彼のメッセージは時代を越えて心に響きます。